掛川 宝住寺に行ってきました。

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掛川 宝住寺に行ってきました。
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今回の特別展で展示する襖絵を宝住寺(寶住寺)様からお借りしてきました。

鐵心が34歳の時に依頼を受けて寺の襖に初め描いたもので、客殿を増築した際にお寺に収めた襖絵です。

小さなお寺ですがのどの守護所として有名なお寺さんです。

今から三百年前の貞享年間(1684年)、当寺三代目住職で明山印宗首座という徳の高い和尚様がおりました。

当時この近辺の村々には咽喉の病苦(ジフテリヤ)が流行して、高熱を発して亡くなる村人が多く和尚はこの事を大変悲しみ、私の法力により治せないものはないと、秘密の法力を施し多くの重病患者をお救いになりました。

この事を聞きつけ隣方はもとより遠方から多くの参拝者が願いを掛け、病苦から逃れることができました。
印宗坊様もやがて年老いて、ある日病の床に臥し遂にその一生を終わろうとしている時、近傍より病を患い願掛けのお客がありました。

お客は『印宗坊様の秘密の法力と、その徳は誠にあらたかで何人いや何百何千人の人をお救いになったのに、今此の法力が滅するとは誠に残念です、出来ることなら私が代わってあげたい』と印宗坊様に申しました。

印宗坊様は枕を取って首を廻してお客様に臨終の言葉をお話になりました。

『吾死すとも法力は不滅也、死後彼の病を患い秘密の法力を享けんとする者は、吾が墓所に詣で祈念せよ、吾は必ず神通力を以て病苦を除去すべし』

今風に解釈すると、「私は死んでしまっても法力は滅しない、私の法力を信じて病苦から逃れたい者は私のお墓にお参りして祈願しなさい。私は必ず神通力をもって病苦の苦しみから救ってあげます」と遺言され寛保元年(1741年)十一月二十三日を一期として入滅されました。

  以来、印宗坊様を「のどの神様」として信仰し祈願する方が増え、近郷はもとより遠隔地より参拝者が後を絶ちません。

宝住寺H.Pより


他にも初めて個展に出品した作品や子襖もあり、いつでも解放されていますのでぜひ一度訪れてみてください。


掛川 宝住寺に行ってきました。

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ギャラリー画禅庵  佐々木


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